人は目でなく脳で見てる? 『進化しすぎた脳』と『無(最高の状態)』

 こんにちは、dedemoniです。

 この記事は、脳科学神経科学についての2冊の本『進化しすぎた脳』(池谷裕二著作)と『無(最高の状態)』(鈴木裕著作)を読んで理解したことを、自分の身に起こった体験も少し交えて説明しています。中には僕の拡大解釈で誤っていることもあると思いますが、まあそれは許してください....

 

 皆さんは、人間はどのように身の回りのものを“見て”いると思いますか。

 学校ではおそらく、「照明などの光がモノに反射して、それが目の網膜に集まって脳に信号が届くことでモノを見ている」というように習ったと思います。

 もうちょっと詳しく目の構造を説明すると、下図にあるように目の一番奥に「網膜」があって、そこに外界が映し出されます。その膜の裏には「視神経」が出ていて、それを通って目の情報が電気信号として脳に送られます。

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 そしてその視神経の本数は、なんと100万本もあります。多いですね!画素数で例えると100万画素、100万個の下のようなつぶつぶ集まってで世界を見ているのです。

でもこの数はちょっと考えると足りないことに気づきます。

 iPhone14 Proはカメラの画素数がさらに増えたと最近話題になりましたが、その画素数をご存じでしょうか。なんと4800万画素です!

 単純に考えると、つぶつぶの数は48倍。画質も48倍良いってことになってしまいます。これっておかしいですよね、僕の感覚でいったら、目が100%の世界を映しており、スマホのカメラは技術の進歩でやっと95%くらいまではきたかなって風に感じます。また、100万画素のカメラなんていったら今は低価格帯のドラレコくらいにしか搭載されていません。

 じゃあなぜ人の目は画素数が少なくてもなめらかに見えるのかというと、脳で補っているからです。それを示す例として例えば、下の画像は中心を何十秒かじっと見つめていると、急にズラーー!!と格子模様が綺麗に並んだかのように感じると思います。

(© 2005 Ryota Kanai)

Healing Grid | Best Illusion of the Year Contest

   このメカニズムを説明します。中央を見つめると視界の大半は規則正しい格子模様で埋まり、周辺の途切れたラインの情報はほとんど脳に入ってきません。すると、あなたの脳は少しずつ「中央が正確な格子模様ばかりなのだから、周辺にも同じパターンが広がっているはずだ」といった物語を想像し、頭のなかで組み上げた格子模様を、あなたなりの〝現実〟として提示します。 すなわち、現実のデータ不足を脳が物語で強引に埋めた結果なのです。

 

 人が実際に「“目”で見ているもの」つまり網膜で感じ取れるものは、大雑把にいうと下の図のような点の集合....たかが100万個の点です。そしてその点は、視界の外側にいくほど少なくなっていきます。特に、色を感じ取るセンサーは急速に弱まって、端の方ではほぼなくなります。(下図参照)

 けれども、人間の脳が加工して補完することで、完全に隙間が無いように見え、視界の端にも色がついて見えるのです。また、首を振った時も、スマホで撮影したときのような手ブレが発生しないのは、第5次視覚野という部位が、動きのあるものを滑らかに運動しているように補正させているからです。他には、下図のように視覚は二次元なのにも関わらず、奥行きを脳が補正して、三次元的にみせています。

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 ここまでの話はおおよそ、『進化しすぎた脳』に書かれています。『無(最高の状態)』ではもっと極端に次のようなことが書かれていました。

 私たちは「五感で捉えた情報」を「」で補っているではなく「脳で作った物語」を「五感で捉えた情報」で補って現実を体験している。

 ちょっと何を言っているか理解できませんね...

 つまり人は次の3ステップで現実を体験しているそうです。

  1. 周囲の状況がどう展開するかについて事前に脳が物語を作る
  2. 感覚器官が受け取った映像や音声の情報を脳の物語と比べる
  3. 脳の物語が間違っていたところのみ修正して〝現実〟を作る

 (ここでいう物語というのは「特定の物事の因果関係を説明したもの」だと本文にはありました。しかし、これだと僕もよくわからなかったので、僕は「予想したこと」だと解釈しています。)

 

 実際に何が起こっているかというと、例えば、あなたが玄関のドアノブに手をかけたとしましょう。この瞬間、脳の島皮質という高次領域が「扉の向こうにはいつもの景色があり、普段どおりの日常が続くだろう」という物語を作り出し、このデータをいったん目と目の間に位置する視床という場所へ転送。続いてあなたが実際にドアを開くと、眼や耳から入った外界の情報が視床に送られ、ここで物語データ(記憶上の風景)との比較が行われます。現実世界から得られた情報と照らし合わせ、脳が作った物語に間違いがないかどうかをチェックするためです。  

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 その後、もし物語が現実の情報と同じだったら、あなたの脳は外界から取り込んだ情報を使わず、最初に高次領域が産んだ物語をそのまま採用します。そして、それを視覚野に送ることで見えた!と感じるわけです。つまり、眼や耳から入ったデータはほとんど使われず、脳が作った「扉を開いても普段どおりの日常が続く」というシミュレーションを、あなたは〝現実〟として体験するわけです。

 一方で、「扉を開けたら巨大な犬がいた」のように、脳が作った物語とは異なる現実が広がっていた場合は、間違った情報だけが高次領域に送り返され、また新しい物語を作っていく。

 以上の知見をもとに現代の神経科学者や心理学者は、私たちのが知覚する〝現実〟の大半は、脳が生んだ物語で構成された〝世界のシュミレーション〟だとみなしています。

  また、本文では、脳は、網膜からインプットされた生の情報よりも、高次機能が生み出した物語を重視していることの裏付けとして、視床から視覚野に向かう情報の経路より、高次機能から視床に向かう経路の方が10倍多いということを述べていました。なるほど確かに!!

 (このテキスト『無(最高の状態)』は、私たちの不安や心配事をクリアにすることを目的に書かれており、この「物語」理論は、人の不安の原因を根本から理解するために説明されています。本の続きでは、この「物語」は人の五感を作るだけでなく、「この人は母親に似ているから良い人だろう」などといった物語も脳が1000分の1秒で無意識に作り出し、人の行動に影響を与えている....といったように話を展開させていきます。)

 

 

 僕がこの「物語」理論を最初読んだ時、ロマン?を感じて最高にテンション上がりました!が....やっぱりじっくり考えてみると、「目をほとんど使わないでものを見ている」なんて常識的に考えて到底実感できません。

 目隠しされてどこか連れ去られたて予想ができない状況でも、目隠しを取ればちゃんと見えるだろうとも思いました。まあでもこれに関しては、五感より物語を体験するというのは脳を省エネするためだとあったので、このような状況では省エネせずに五感で見ているということなんでしょう。

 

 でも裏付けの証拠である「経路の方が10倍多い」というのも先程の図をよく見て考えるとおかしい気がします。(下に図を再喝しました)

    網膜からの情報と高次機能からの物語を比べているなら、「視床から視覚野」と「高次機能から視床」じゃなくて、「網膜から視床」と「高次機能から視床」を比べないと比較にならないのでは?と疑念を抱きます。

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 こんな感じで「物語」理論にはまあまあ懐疑的だったのですが、なんとこの本を読んだ日の夕方、逆にこの理論が正しいことを身をもって体験してしまう摩訶不思議な出来事が起こりました!

 

 夕方、ちょっと意識がボーッとするので、エアコンの直風が当たらないように頭に薄い布団にくるめて横になっていました。そして、しばらく寝てから目を覚まし、薄い布団が邪魔で息が苦しいので頭からどかして体を起こしましたが、そのときクラッとして意識を失います。意識が戻ったらまた布団が頭にかぶさっていたので、手でどかし体を起こしましたが、そこでまた意識を失います。

 このように 布団ずらす→体起こす→意識失う の無限ループを10回かそのくらいか繰り返したら、ようやくループから抜け出すことができました。

 

.....ということが起こって、ほんと恐ろしかったですね。

なんだか夢みたいな話です……………というか、実際これは全部夢の中の話です。

 正確には、最初の横になって寝てから最後にループから抜け出すまでが夢の中の出来事、つまり頭の中で起こった出来事でした。

 脳みそが「頭にかぶさった薄い布団」や「部屋」の映像を作り、「手で布団をずらしている感覚」を作っていたわけです。つまり、視覚や触覚を使わなくても見たり触れたりできるということです。

 

 僕、実はこのような体験をするのは初めてでは無いです。というかしょっちゅう起こります。これを書いている今日も後述する別パターンが起こりました笑

 この日は朝からずっと、『無(最高の状態)』を電子書籍を読んでいてデジタル画面を浴びまくっていたのですが、このように脳が醒めている状態で、かつ体が疲れている状態で寝てしまうとこの現象が起こります。体は寝ているけれど、脳は起きているという事態がこの現象を引き起こすわけです。さらに、この日の「布団が邪魔で息がしづらい!」などの早急に起きなきゃいけない状況が加わると、脳は「起きなきゃ!起きなきゃ!」と焦るので、体は疲れて眠っているにも関わらず「起きた!」という物語を勝手に作ってしまうのです。その結果、無限ループに陥ってしまいます。

 

 この日は『無(最高の状態)』をちょうど読んでいたため、ループから抜け出せたとき「この現象のメカニズムは脳が物語を作ってしまうからなんだ」とハッと気づきました。

 そして、ループ時の現実感のある映像が脳で作られていたことから、人は網膜を使わず脳だけで知覚することができると実感しました。

 

 中学生の時に起こった他の例だと、喉ガラガラなのに横になってそのまま寝ちゃった時は、なんとか起きようとしてループするも、起きれないものだから誰かに起こしてもらうしか希望がないと思った頃に、ちょうど母が自分を呼んでいる声が聞こえてくるといったこともよくありました。これも物語理論を踏まえて考えると、脳が作った幻聴だったんだろうと推測できます。

 

 こんな感じで脳は色々と起きようと思うあまりに物語をどんどん作っていくのですが、体が寝ちゃっているので、目が覚めるには基本的に待つしかありません。*1

 この先しばらくこの現象を説明しますが、人の夢の内容を主観的に語るのは相当きしょいので、客観的な説明に留めておきます。それでも気持ち悪いとおもいますが。

 

 このループ現象が初めて起こりだした中学の頃は「このループが明日の朝まで続くの!?耐えられない!起きなきゃ!」と焦ってさらにループを加速させていたのですが、この現象を繰り返すうちに、現実世界の時間で10分から20分したら急に目が覚めるということがわかってきました。

 そのため、最近ではこの現象が起きても無理に起きようせず、ループにはまらずに済むようになりました。(布団ループが起きた日は、息苦しさから起きようとしてはまってしまいましたが...*2

 その結果どうなるのかというと、夢の中でも意識があるという、いわゆる明晰夢の状態に入ります。

 明晰夢の入り方は2パターンあって、

  1. ベットで目をつぶってからずっと意識を保っているパターン
  2. 夢を見ている途中で、ふと意識を取り戻すパターン

この2パターンあります。

 パターン1は、目をつぶったときの真っ暗な状態のまま、眠りに入ります。金縛りのような状態です。時間がたつにつれて、少しづつ夢が出来上がっていく様を体験できます。とはいえ、あくまで未完成の夢で、自分が夢での世界を探索したり、夢を操ったりと高度なことはできません。あくまで脳がつくった映像を見ている感じで、例えば、星のカービィのゲームプレイ画面を見ている、といった感じです。10分くらいですぐ覚めます。

 

 これに対して、パターン2は夢を体験している途中で、意識が回復してこれは夢だと気づくパターンです。こっちは夢の世界が出来上がっているため、その世界を飛び回ったり、窓を壊して回ったりできます。パターン1よりは長く持ち20分くらいで覚めます。

 基本的にはパターン1で、パターン2は珍しいため最近は見ないです。

 

 ちなみに明晰夢に入る前、体が寝るときにほぼ毎回、頭がぐあんぐあんしたり、手足背中がとてもむずむずするように感じるので、あ、明晰夢来るな!とわかります。これかなり苦痛です。

 

 このようにこの現象には長らく苦しんできたのですが、起きる理由やメカニズムは『無』を見るまでまでさっぱりわかりませんでした。

 目が覚めた!と勘違いした時見た部屋の視覚は、まんま寝る前に見ていたものと同じなので、流石に薄く目を開けて見ているのだと思っていました。部屋は、見ている風景+直前まで見ていた、ために、脳で正確に作りやすいのかもしれません。

 また、母の呼ぶ声なんてのも実際に呼んでいたと考えていました。寝ている時に消防車の鳴るサイレンが聞こえてくると、夢にも影響を与えるように、実際には聞いていると思っていました。

 五感で感じた何が本当で何が嘘なのかわかりませんでした。しかし、人が五感センサーを使わず脳だけで知覚することができるなら、夢の中の出来事も全部。脳が作った物語だったのでしょう。

 

 まあこんな話を聞いたところで、あまりに主観的すぎるがゆえ、根拠になってないです。誰も追体験ができないため「神のお告げを聞きました!信じてください!」と構図は同じです。

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 明晰夢とかいうスピリチャル臭い話も「物語理論」なんていうトンデモ理論も信じてほしくて書いているわけではないです。ただ、明晰夢・ループ現象という自分に起こる理解不可能な出来事が「物語理論」が正しいと仮定するとうまく説明できることがわかったので書いてみました。

 

 この「人は目でなく脳で見てる」という話を友人にしたところ、友人が言うには、

 「海外旅行行ったときに、街の景観が細部まで見えたりと感覚が研ぎ澄まされて脳がどっと疲れるけど、これは省エネせずに目でちゃんと見ているからだろう」

 「普段の生活はいつもの繰り返しだから、予測できるから脳は楽するけど、海外旅行ははじめての認知の連続だから楽できない」

 だから当然でしょと言ってました。なるほどなぁ。

 改めて脳は不思議だなと思いました。もうちょっとちゃんと神経科学勉強したいですね。

 

 

 

 

*1:体に無理やりショックを与えて起きるという天才的な裏技もありますが下品なので書きません

*2:この日は何故夢だと途中で気づかなかったのかと疑問に思うかもしれませんが、このように寝ぼけてて頭がうまく働かない時も多いです