※この記事には創作が多分に含まれます。フィクションとしてお楽しみください
私にとって募金とは
酒であり、タバコであり、推し活である
どうもお久しぶり!
これは私が募金に沼ってその後抜け出すまでの話です
よろしく~
1 ぼったくり正当化としての偽善
始まりはタイでぼったくられた時の自己正当化であった
春休みに旅行でいったタイで象乗り体験をしたのだが、そこで定価よりもずっっと高い値段を支払うことになってしまった
しかし私は気が弱く、強く交渉することができずそのまま払ってしまった
まあ日本円にすると5000円ほどの損失であるが、ろくにバイトをしていない私にとっては大金も大金だ
そもそもこのタイ旅行も食費を削って貯めた奨学金で行ったものだ(安心してくれ、ちゃんと返すタイプのやつだ)
いくらケチだと思われようが、親からの仕送りが基本的にない金欠学生なので削れるお金は削らないといけなかった
そのため後日、ずっとそのぼったくりに頭を悩ませていた
これはもともとある程度交渉されることを前提とした法外な値段設定だったからちょっとでも交渉すれば値段は安く済んだのではないか、そんな後悔に私はさいなまれた
私にほんのちょっとの勇気がなかったばかりに大損こいてしまった
何て無駄な損失なんだ
そこで私はこのように発想を変えることにした
「日本よりもタイの物価はうんと安い 。私の1万円に対する思いは彼らからしたら2万、3万、いやそれ以上になるだろう 。そのため、私が1万円使うより彼らが使った方が世界全体の幸福度は増す。つまり損失もくそもない!これは合理的な富の分配だったんだ!」
だいぶ無理がある幼稚な正当化だが、お金の無駄をどうしても許せない私はそうやって自分に言い聞かせて納得することにした
ただ、この正当化を本気で突き通すなら、私がくだらない娯楽にお金を使うくらいならもっとお金の価値が高い人に配らなければならないことになる
だってそうだろう!
「私は自己の利益より世界の利益の方を優先している」なんていってる人が普段パチンコに行ってたら、じゃあそのお金も価値の高い人に配れよという話になる
タイ帰国後の数日はそんな屁理屈を考えていたのだが、だんだんそれが正論に感じてきた
この数日前、ネット広告で気になった漫画をkindleで一巻だけ読むつもりが気が付いたら全巻(1万円分)読んでしまったことがあるのだが、ただもしこのお金を寄付していたらどうだろう?
調べてみると国境なき医師団(通称MSF)だと1万円の募金は栄養治療食300食分に相当するらしい
私が刹那的に買ってしまったクソ漫画(1万円)が飯300食分だぞ!!
とてもじゃないがとても釣り合わない!!!
飯300食分だぞ!!
これすごいな!
友達一人に飯を奢るより遥かに効率がいいではないか!
よし、やるか!?
いまここで!?
募金5万円分!!
飯1500食分のおごり!!
何を思ったのだろう!
きっと深夜テンションのせいだ!
気が付いたら私は5万円分募金してやろうという気になっていた
だって別に良くないか?自分がアイス食べたり衝動的に漫画読むみたいな贅沢が出来なくなっても1500食を人に奢れるなら!!!
一度で1500食をおごったことある人なんかいるか??いないよなああああああああ
俺がやろうとしているのは、大宴会だ!
腹をすかした1500人を一堂に集め飯をタダで配るという大盤振る舞いだ!!!
日帰りディズニーとは豪遊の格が違う
5万円という金額は私の一ヶ月分の奨学金と同額である
したがって、ちょうど1か月分の生活費と同額の募金することは私は真にお金を最適に使う人間になることの宣言、決意表明になるだろう!(?????)
そんなよくわからない閃きにその時の私は興奮していた
(現時点ではそんな貯金はないが、この春から始めた塾講師のバイト代と奨学金がもうすぐ振り込まれるので募金はギリ可能だった)
しかし、どうする?
タイ旅行で大金を使ったばかりだぞ?
うーーーーーーーん
良し!
いっけーーーー!!!
こうして去年の3月26日、私は衝動的に5万円を溶かしてしまった
.
次の日、私は心底後悔していた
漫画の無駄遣いにタイ旅行に募金....
春からようやくバイトを始めたからって調子に乗りすぎた
どうにかして募金を取り消せないだろうかと調べたが結局無駄に終わった
ただ募金したことで、自分の存在が肯定されたような感覚、また遠い世界と繋がりを持てたような感覚は確かにあった
まあ今月も金欠は続くが、これで良かったのだろう!そんな気持ちになった
ただ、昨日の私は真にお金を最適に使うぞ宣言はあまりに馬鹿馬鹿しいので一日で破棄された
奢るのは確かに気持ちいいが自分だってアイス食べたり遊びたい
いくらお金の価値が高い国では3倍の量のアイスが食えるのだからって自分がアイスを一切食わず人にあげ続けるのはあまりに人が良すぎる
ということで「自己の利益をないがしろにして世界の利益を優先する」という発想で募金することは今後一切なくなった
ただ、ここで5万円もの金額を募金したせいで自分の中のタカが外れてしまった
このタカが外れたのをきっかけに、「偽善マゾ」という人類初のマゾヒスティックに目覚めてしまったのだ
※栄養治療食について
私が寄付した50000円は確かに栄養治療食1500食分に相当するが、実際に寄付金が何に使われるかはMSFが決めるので当然わからない
もちろん栄養食なのでラーメンや寿司よりはカロリーメイトに近い
また、目的は子供の治療なのでカロリーメイトよりは味度外視の離乳食に近いイメージだろう
だけど500kcalもあるらしい すごいね
詳しくはここ https://www.msf.or.jp/malnutrition/
2 許せざる不合理
話は変わるが、人はだれしも怠惰な瞬間がある
テスト前なのに友達と遊んじゃった!とか
授業だるいからさぼろー!とか
ただ私はそんなのは全然いいと思うんだ
だって遊びたいから遊んでて、だるいからさぼっているから
それは別に無駄な怠惰ではない、合理的な怠惰だ
私が心から許せないのは完全に無駄な怠惰だ!
やりたいし、やらないとだし、やってて楽しいことが他にあるのにもかかわらず、やりたくもなく、やる必要もなく、楽しくもないことをやってしまう
そんな無駄な怠惰が私は許せない!
普通の人はそんな不合理な行動なんかしないと思うだろう、私もそう思う
ただ、私はその無駄を非常に嫌う性格のせいで逆にその行動に走ってしまうことが多々あるのだ!!(???)
.
私はラッキーなことにまあまあ勉強が好きであり、やってて楽しいとも感じる
だからテスト前の勉強はまさにやりたいし、やらないとだし、やってて楽しいことになる
私にとって休日に1日かけて思いっきり勉強することはこの上ない幸福だ
とはいえ30分も勉強すれば疲れてくるので5分くらいYouTubeでもみて休憩しようという気になる
しかし、ここで5分どころか30分、1時間と見てしまうのは誰しもがしょっちゅう経験することだろう!
やべっ気づいたら30分以上たってる!とそのうち気づくことになるが、問題はそこでの行動だ
やべっ勉強しないと!って急いで勉強を再開するのがまあ普通の反応だろうが、私は無駄な行動が嫌いすぎるあまり、真逆の行動に出てしまうのだ!
(しばし、そのメカニズムを説明する)
.
仮に、30分でYouTubeを見るのをやめて、勉強を再開するとする
そうするとそれがYouTube以上にやりがいがあり楽しいことも容易に想像できる
となるとなぜ私は30分以上も勉強よりもやりたくもなく、やる必要もなく、楽しくもないYouTubeを見ていたんだという話になる!
この不合理に向きあうことはストレスになる
ということで30分以上たってると気づいた一瞬、選択が迫られる!
勉強を再開してこのストレスに向き合うか、それとも思考停止してあなたへのおすすめをクリックしてYouTubeを見続けるかの選択だ!
私はYoutubeをみてる最中は思考を完全に停止してしまう
思考がほんのわずかに働くのは動画を見終えて「あなたへのおすすめ」の動画をクリックするまでの一瞬だ
その一瞬の間で現実に向き合う覚悟が出来なければ、指が勝手にあなたへのおすすめをクリックしている
これを繰り返すとどうなる!
1時間2時間と経ってくるといよいよ私でも心の奥底から「ヤバいぞヤバいぞ」という声がしてくる
そうなってくるともうちょっとでも頭を使う普通の動画を見てても思考が働いてきてストレスになる
そうなるとどうだろう
思考を停止するためだけに、プレス機で大量のおもちゃを潰すだけのクソ動画などを倍速で見まくって無理やり思考を押しとどめるという最悪のフェーズに移行してしまう!
そうして気が付いたら8時間....
そうして尿意か空腹の限界でいてもたってもいられなくなりトイレとかコンビニに行ったときに嫌でも向き合うことになるのである
「ああ...私の幸せなはずの勉強日が、やりたくもなく、やる必要もなく、楽しくもないクソ動画を見るだけで潰れてしまった...そしてこのまま期末テストがやってくるのだ...」
なんという不合理......
結局やめられて勉強を始められても、勉強が楽しいせいで意味ないことして勉強しなかった事実と向き合い続けなければならず、これに耐えきれなくてまた逃避してしまう
こういう日がまあ起こる
大体月に2回、悪けりゃ週1で起こってしまうのだ
いやYouTubeの使用時間制限しろよ!とかもっとなんとかなるだろと思うかもしれないがそんなことはもう試したあとである!
例えば時間制限のスクリーンタイムはいくらかけてもそのたびにバグ、裏道を発見してしまうので使い物にならない!(スクリーンタイムと私の中学から始まる格闘の日々と和解への道についてはいずれブログに書くつもりだ)
裏道使うなよって精神論も結局のところうまくいかない!
YouTubeを見過ぎたら大嫌いな果物を食うという謎ルールを大真面目に自分に課していた時期もあったが、これは果物食うのが辛すぎて止めてしまった
一度も果物を食わずにきた男、ついにソレを食う - 尋常たる雑記
その他、痛ましい試行錯誤の日々と決意表明はここにも記録している
(1) 怠惰の極みが自己管理能力をつけるまで - 尋常たる雑記
(2) 怠惰の極みが自己管理能力をつけるまで-シャワー浴びろ!!! - 尋常たる雑記
(3) 怠惰の極みが自己管理能力をつける-第二の誕生 - 尋常たる雑記
そんなこんなでいくら工夫しても不合理な行動がやめられないことに長い間苦しんできたのだが、先に述べた「募金」をヒントに私は天才的なアイデアが生まれ、それ以降まあまあうまいことできるようになったのだ!
3 怠惰正当化としての偽善
ここで話を整理してみよう
この中で一番の愚行はうっかり1時間YouTubeを見てしまったことではない
その後にその事実から目を背けるためにさらに何時間もYouTubeを見続けてしまうことだ!!!!!
今までYouTubeを見た分の数だけスクワットするとか無駄に1時間YouTubeをみることに対しての対策ばかり考えていたが、こっちは置いといて1時間見てしまった後に現実逃避をし続けないように対処したほうがいいと考えを改めた!
これに関してはスクワットするだの果物たべるだの罰を自分に課しては逆効果だ!!
1時間見てしまったという現実+スクワット60回という罰をしなければいけないという向き合う壁が高くなりそれだけ自暴自棄になりやすいだけである!!!
そこで壁の高さ、つまり罪悪感の大きさを0にするために必要なのは、1時間見てしまったという現実に打ち勝つくらいの飴!免罪符!逃げ口上 !屁理屈!なのである
そこでこんな行動を習慣化させる
なんか罪悪感を感じた時、その時に限り自分の罪悪感を帳消しにするだけの金額をその場で募金してみる
そうすると
うわー1時間もYouTubeみちゃったなあ、いやでも自分がYouTubeみた罪悪感があったから募金したわけで、その募金で50人が飯を食べれるとしたら!?
俺何もわるいことしてないじゃん!!!
1時間ごはん配るボランティアをしてただけじゃん!!!
まあ確かにこの時間勉強した方が自分は満たされたかも知れないけどさ
お腹すいてる人にご飯あげることには替えられないよな~
さてボランティア頑張ったしYouTubeやめて勉強するかあ!
こうやって切り替えられるのである!!!!!
(うーん病的だ!)
だが幸か不幸かこの方法に自分はバチっとはまってしまったのである!
いやいやそんなお金なかったじゃんと思うかもしれないが
もともと奨学金(利子付き借金)で生活費と娯楽の費用はギリギリ足りていたのであるが
暇だという理由でバイトを始めたため毎月使い道のない余剰資金が振り込まれてくるのである(借金返すことに使えよ!)
そのお金なら自由に使ってもいいだろうということでここから募金に回していた
あと5万募金した時から募金することに対する抵抗は消えちゃったし、金額入力してポチポチするだけだからYouTubeを見ながらでも募金できる
しかもこのメソッドは実に様々なことに使えるのである
ちょっと募金メソッドの応用例を見てみよう
上の画像は家計簿アプリの画面である
例えば意地でも毎日15分の英語学習するぞ!という強い意思があったら毎日の固定費として300円を設定する
そして英語学習をしたときにその日の300円をキャンセルすればいい!
こうすれば英語学習をやる動機づけになるし、仮にやらなかったとしても罪悪感が勝手に募金にアウトソーシングされているのでやらなかった自分を責める必要もなくなる
他にもバイト先でミスしちゃったときとか、言わんくていいこと言っちゃったときとか、いつもだったらそれにくよくよ後悔して作業に手がつけられなくなるのだが
そういう時に募金すれば
「自分がミスったおかげで50人が飯を食えるんだな〜ミスって良かった〜」
と最低の合理化をして自分を納得させることができる
.
このように日常的に募金するようになってから約半年!
一切の無駄とそこからくる罪悪感から解放されて無敵となった結果私はこうなってしまった
- しんどい時に出る口癖が「もうマジ無理死にたくなってきた〜」が「もうマジ無理募金したくなってきた〜」に変わる
友達に指摘されて気づいたよ!
- バイト代の大半を募金するようになる
いくら何でもやりすぎ
あとバ先で普段バイト代何に使ってんの~と聞かれたとき、うーん普通に募金かなーと答えてしまいドン引きされてしまう
- 罪悪感を覚えるとき、同時にうっすら快感も感じるようになる
罪悪感を感じる→即募金する→誰かがご飯を食べたり治療を受けられる→ちょっと気持ちが満たされる
このサイクルをずっと続けた結果、罪悪感を感じた瞬間、条件反射的に快感も感じるようになってきたのである!
つまり、自分の悲しみがダイレクトで他人の救済となるような仕組みを作った結果!
私は、自分の悲しみで喜びと安らぎを感じられるように自己調教してしまったのだ!!!!
これがノーマルマゾ、感傷マゾに次ぐ、第3のマゾヒズム「偽善マゾ」が世界に誕生した瞬間である!!!!
(感傷マゾはアニメみたいな青春を送れなかった人が現実の自分との比較から生じる「自己嫌悪」が次第に快感になってしまうマゾらしい へんなの〜)
4 偽善マゾからの脱却
その後も私の偽善マゾは進行を続け、普段なら気にしないことまでわざと罪悪感を感じ、それを募金として発散をすることで快感を得るようになっていった
しかし以下のような副作用とか矛盾が段々出てきてしまった
- 反省をしなくなる
YouTube辞められないのとか強すぎる罪悪感で2次被害が出てくるケースでは一旦罪悪感0にしてやるべきことやってから反省するのはいい対処法化だと思うけど
そうじゃない普通の失敗まで罪悪感0にしたら問題の本質から目を背けて同じミス繰り返すだけだよね~
- 自分の感情が自分事じゃなくなる
自分は遊ばずバイトだけして稼いだお金を全部募金したほうがみんなが幸せになるんじゃない!?
これの考えは自分にお金を使うより、推しに還元したほうが遥かにいいからとグッズ買いまくるタイプの推し活に近い気がする
- 寄付金が実際にどのように使われているかに関心がない
自分の気持ちを納得させたいだけだから自分の寄付金がどのように使われているのか正直そんなに関心が湧かないんだよね
寄付先のMSFが普段どんな活動をしているのかの本を2冊買ったのだが50ページほど読んだところでほっぽり出してしまった
まあ募金が目的じゃなくて手段になってるからいくら本読んで勉強したとて慈善じゃなくて偽善なんだよなあ
- 単純にお金がない
募金額で海外旅行2回行けたやんとか考えると無駄すぎる
あとクレカ履歴とかから親にバレてめっちゃ怒られた
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そんなこんなで親に怒られ、友人にも止められたことで募金を止めようと決意しました
友人の協力もあってちょっとずつ募金が無くても生活を送れるようになりました
そして禁募治療を始めてから3ヵ月が経ちます!がんばった!
未だに衝動的に募金したくなる時はありますが、なんとか抑えています
YouTubeをやめられない件も募金無しでなんとかなってる
というのも募金で罪悪感を無くすことを日常的に続けた結果、数時間無駄にしちゃった時も強すぎる罪悪感を感じなくなったので、その後ちゃんと逃げずにやめれるようになった
このように、募金のおかげで人より強すぎる罪悪感が普通レベルに矯正されたのである
あとやめれた理由が募金以上に健康的に生活習慣を改善できる最強のメソッド「ラ体」を習慣化できたからなのもある!
この「ラ体」についてはまたいつか書くよ!
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結局募金はやめちゃったけど、募金メソッドは正しく用いれば自己管理で悩む多くの人に効くかもしれない
あと偽善マゾは正しく訓練すればどうしようもないネガティブな気持ちをうまくプラスに昇華できるかもしれない
可能性を感じた人は阪大の感傷マゾ研究会にならって筑波大で偽善マゾ研究会を作りましょう!!
???「 東大が純愛で阪大が感傷マゾ、早稲田は負けヒロインだろ?ここまで来たら筑波は偽善マゾで勝負するしかない!」
最後に一言!これはほとんどフィクションってことにするからホントに募金で有り金溶かすやばいやつだと思わないでね!!!
じゃっまたね!!!